儚いけど夢は夢

家族と愛猫に支えられて・・感謝を忘れない

当たり前の世界

私の幼稚園の通信簿には


”情緒不安定”という言葉があります


母は「この頃(2~3歳)からお前は問題児だった」と言っていたけど


私もずっとそう思ってきたけど


だけど


あの時もっとその言葉に注視していてくれるような親だったら


今の私はなかったのかもしれません



物心ついた時から


私は虐げられてきた
(家族から)


だから容姿やいろんな能力が劣っていて


皆に馬鹿にされるのは


自分としては当然だと思っていた



小学校高学年の頃


いつものようにミニバスケ部で


私は一人の子に虐められていた


でも


たった一人


幼稚園からずっと友達だった子が


私を援護してくれた


初めてだった


こんな私を擁護してくれる人を見るのは



彼女は生まれも裕福で学習能力も優秀で


そんな彼女に問い詰められたいじめっ子は


すごすごと退散した




その時


彼女には後光がさして見えたし(笑)と同時に


力ある人には(それ以下の人は)服従するのだと


思い知りました



私は虐められて当たり前


そうずっと自分の中で浸み込まれていました





旦那と結婚したのは


旦那がどんな人でどんな家柄など関係なく


こんな私を好きと言ってくれたから


自分を認め好意を持ってくれる人には無条件に


私は吸い寄せられていった



そう


好きと言ってくれれば


誰でも良かったのです



だって


それまで虐げ続けられた日々だったから




結婚した時も


当たり前のように


旦那の家族や親戚は


私を当たり前に


見下した


でも


それさえも私には当たり前でした




だけど(その時)



私が唯一の望みを抱いていたのは



私の産んだ子供は


私に愛を教えてくれるんじゃないかって
(家族で初めて)



だから(どうしても)


どん底でも子供を産みたかった


家族の愛を知りたかったから



でも



当たり前に自分を虐げられても


産んだ子供を同じように


虐げる義姉や義両親を


どうしても許せませんでした






私が旦那に未だに問い詰める理由は


≪子供は関係ないでしょ


子供はあなたと血縁関係でしょ


だけどそれさえ


母親が私だあるという理由だけで


それだけで


虐げるの?≫




今義姉の娘さんが産んだ子と一緒に


目の前の義両親宅へ


里帰りしています



姪は三か月早い出産で


生まれた時1000gちょっとしかありませんでした


なので



生まれたのは三月で


退院したのは(3000gを超えたのは)


つい先日でした



三か月以上過ぎて初めて訪れた尊い命


そして喜び


わかるわかりすぎるくらいわかる



だけど



だけど



今の私にはその幸せを


心から喜べるモチベはなくて(申し訳ない)



姪が里帰りした日



義母は何度も「赤ちゃんを見に来なよ」と言ってくれた


でも


私は足が不自由なことを理由に行きませんでした


なので


旦那が一人で行ったのですが



その時私は足が不自由だから来れないと伝えました



でも


それが私には心地よかった


足が不自由であることが


あの時ほど


活かされた時はありませんでした(笑)




だけど


姪はすぐ言ったそうです


「私の方から(新しい命を)見せに行かなきゃいけなかったね」と



だから


次の日姪はわざわざ


私に赤ちゃんをお披露目してくれたのです



私は捻くれて育って歪んだ人生を送ってきたので


心から(人の幸せを)喜べなかったけど



約40年この家に嫁いできて



どんな態度でどんな言葉を言うべきか


刷り込まれているので



自分でも驚くほど


思ってもいない言葉が次から次へと出ました


それは


姪はもちろん


1000gで生まれた尊い新しい命が


私のような


人間の言葉で汚されぬよう


ただただ必死でした



今は(落ち着けば)姪の優しさや


無邪気な顔を見せてくれた尊い命に感謝できます