儚いけど夢は夢

家族と愛猫に支えられて・・感謝を忘れない

苦しい時は

最近、一番よく見ているのは


”犯罪教室のかなえ先生”の動画です


その中で以前、≪滋賀医科大学生母親殺害事件≫を取り上げたことがありました


かなえ先生は事件の話をする前に


「僕は毒親という言葉は好きではありません


 ただこの事件の考察をするにあたり


 (同じような境遇の人で)苦しくなったらすぐに退室してください」と言いました


それほど


共感を感じる人が多い事件なのだと思いました


でも


私は食い入るようにして


動画を最後まで見ました😅



そして最近知ったのですが


被告人の言葉を綴った書籍が出ているとのこと



でも


それを知ったからといって


すぐ本屋に行くこともできず


旦那に頼んだけれど


近隣の本屋は通路が狭くて


車椅子では買い物は無理だろうと言われました


そこでAmazonで検索をしてみた


”母という呪縛 娘という牢獄”を


だけど


1980円という値段に少し躊躇してしまいました



今まで本なんて読んだことがない私が


読めるだろうか


それに(私にしてみれば)とても高価だったので





つい先日


旦那と夕食をしながら話をした


「私とあなたは何一つ同じ趣味嗜好で話をできないよね」という私の言葉から



聴く曲も観る映画も


趣味も


時として親として感じる感情さえも


旦那とは全く違った・・・と



大家族でお店をしていた旦那は


常に人の出入りがあり


親戚付き合いも当たり前に過ごしてきた



でも


私は核家族で


しかも親戚付き合いさえほとんどない


そんな生活だった


だから


初めから無理だった


旦那の家に嫁として入るのは



そして話は私の母親の異常さに移った



私は2歳になったばかりに


新しい土地に移り住んで


二つ年上の兄と


保育園ではなく幼稚園に行かされた


もちろんトイトレどころか躾の何一つされていないまま



だけど


お漏らしをするといつも母に怒られた


「お前は馬鹿だね・・本当に」と




甘えたい盛りだったけど


物心ついた時にはすでに私は鍵っ子で


誰も居ない家に一人で帰って行った


それがどれほど寂しく自尊心を損なうことだったのか


母親は知る由もなくて



母は一度も私の気持ちを(私目線で)聞いたことがない


いつも


母親は得意の裁縫で


私に洋服を作ってくれた


まるで


着せ替え人形のように


でも一度として私の好みは聞いてくれない


食べるものも


好きな遊びも


何一つ私の意見は聞いてくれたことがない


すべて母親の好み意のままにいることが


そこが私の居場所でした


私は自分の感情を持ってはいけませんでした


「親が喜ぶからお前はこうしなさい


 そんなことをしたら親が悲しむ


 お前は本当に馬鹿だ」そんな言葉が


母親から出るすべてで


私という人間の価値でした



今思うとずっと一人でした


どんな悲しいことも辛いことも寂しいことも


自分一人で耐えて超えてきた気がします



一年半前


精神科閉鎖病棟から退院した時


次男が長文のメールをしてくれました


”昭和の人間にありがちな


苦しい時は


無言で耐えるというのは美学でもなんでもない


ばあば(実母)に相談してみなよ”と



私は自分が思う母親像と次男が思うおばあさん像が


真逆なことに


理解されないことに


打ちのめされました


「そうだね」と言ってはみたものの


あれから一度も会ってはいない


だって


母は私が何処にいたのか


どんな状態だったのかさえ知らない


そのことが


母親にとっての幸せだから



いつまでも足枷の娘でいたくないから



私は障碍者であっていけないのです


絶対母親が許すわけないのだから


だから会えないのです



今思うと


ずっと一人でした


こんな年になっても


ずっと一人で


多分この先も


自分の気持ちを言える人には巡り合えずにいるのだろうと思います