儚いけど夢は夢

家族と愛猫に支えられて・・感謝を忘れない

痛む心

今読んでいる本


”何故夫は何もしないのか、何故妻は理由もなく怒るのか”


ですが。。。


ひとつひとつのエピソードが


私達夫婦の40年に当てはまり過ぎて


ちょっぴり心が痛みます



私達夫婦が


危機的な状況の時


この本があったらどうだろう?。。。なんて思ったりします(笑)



今思い返すと


旦那も私も40年の間


それぞれに逃げ場を探していたように思います


一番安らげる場所の家庭が


一番居心地が悪かったから(お互いに)




こんなこと言うと元も子もありませんが


そもそも、旦那と私は結婚に向いていない同士だったと思います



お互い不倫もしたし


4年間別居生活もしたし


子供達が二十歳を過ぎた頃


真剣に離婚を考えました(泥沼状態でしたが)



今思うと


結婚もそうだけど


離婚もタイミングだと思ってて



たまたまそのタイミングがズレたから


40年経った今も夫婦でいます(苦笑)



それには、子は鎹であったことが


あの当時一番絆を強くさせられました



16歳の三男が


涙を流しながら


『家族同士なのに、別々に分かれるのは悲しいことだと思う』



そう絞り出すように言った言葉が



私達親の無限の責任を感じました(ごめんね、三男)





でも、ここだけの話。。


もし生まれ変わっても


旦那とは二度と結婚しません(大爆笑)。。絶対に



多分、私は人として女として母として妻として


絶対的に最低な人間だと思うから


結局、何一つ極めれませんでした(哀)




もし、私に娘がいたら


いつ親元を離れてもいいように


幼い頃から


たくさんの愛情をそそぎ


恥をかかないように躾をしてきたと思います


(私のような人間にならないように)



だけど、最後の最後


どうしても辛いのなら、いつでも帰っておいで


そう言える母親でいたかったと思います



世間体とか自分の(親族の)都合とか


そんなことより


娘の心に寄り添える母親になりたかった。。です(娘は別格)

4年前、譲渡会での禰豆子氏



この時の第一印象で


とても綺麗な子だったから


うちの子に欲しいと決めていました


でも,終始不安そうに鳴き声を出していました


あの時(生後半年)から神経質だったんですね

美猫でしょ?


四年前、我が家に来たばかりの夜の禰豆子氏

譲渡後


丁度、換毛期ということもあり


毎日、何度も吐き戻しをした禰豆子氏


あまりにも心配過ぎて


日中は、私のベッドでずっと寝てもらいました


(何しろ猫を飼うのがはじめてだったから)


禰豆子さんが風邪をひかないように


冷房の温度にも気をつけていました


最長7時間眠り続け、それに付き合う私は


トイレも我慢しました(阿保でしょ?)



今月22日で、うちの子記念4周年


禰豆子のことで心配し過ぎて


旦那と喧嘩も絶えなかったけど


それは、何より禰豆子さんという小さな命が


大事過ぎたから、重く重く考えていたから



この4年間、どれほどこの子に救われたのかわかりません


今度、どんな記念日にしようか


今から楽しみです



そして、私が最悪な状態の時も


ひたすら我慢させてごめんなさいの意味も込めて。。。



大事な大事な一人娘だから