儚いけど夢は夢

家族と愛猫に支えられて・・感謝を忘れない

無神経

私が小3まで過ごしていたのは


古くて汚い真っ黒な借家でした


ある日隣に引っ越してきた家族がいました


当時50代くらいの夫婦と


22歳のお兄さんの三人家族です



その家族も私の両親と同じ工場で務める人達でした


だから


とても親密になっていったようで


私はそのお兄さんにとても懐いていました


ある時(私が小2の頃)


お兄さんと海水浴へ行ったのです


私は海に入り


仰向けになって波にぷかぷか浮いて遊んでいて


ふっと気が付いたら


波に流さて随分と沖のほうまで来ていました


私は急いで戻ろうとしたら


足がつかなくて


それで焦って藻掻いていたら


どんどん海の中に吸い込まれていって


目の前の光が遠くに感じて息ができなくなって


一瞬「あ・・・私溺れてるんだ、このまま死ぬのかも・・・」


と直感しました



でも次の瞬間


お兄さんが私を抱えて助けてくれたのです



私は助けてもらえて嬉しかったのと


心配させてごめんなさいの気持ちが入り乱れ


でも何かお兄さんに言おうとしたけど


その言葉を遮るように


お兄さんから出た言葉は


「めんどくせー、だから嫌なんだよお前なんかを連れてくるのは」


でした


そう


彼は私を心配というより


自分の保身の方が大事だったのです



その後は私のことを振り向きもせず


さっさと車に乗り込んでいきました


怒りを露にしながら



あの時


今までの(お兄さんとの)すべてが偽りの出来事だったのに気が付きました


彼の笑顔も優しい言葉も何もかも





そして家に帰っても


(いつものように)


私は何も母には言いませんでした


でもお兄さんから母は


その時の状況を聞くのだろう


そしたらまた酷く叱られると覚悟していました



でも母からは何も言われることはありませでした


多分お兄さんも黙っていたのだろうと思います


それは私の為じゃなく


お兄さん自身の為に



それから40年くらい経ったある日



父が亡くなって遺品整理をしていました


その時


私の幼稚園の通信表を見つけ



そこにある”情緒不安定”の文字を見ながら


母親に言いました


「私がどんなに寂しい思いをして育ったのか  わかりませんでしたか?」




そしたら


「だってお隣の家族がいたから だからいいと思っていた」という母の言葉に


だめだこの人は・・・と




そもそもお隣さんが越してきたのは


小学校へ入った後だし、しかもあかの他人で


本当は彼らは私の存在を疎ましく思っていたし


チンプンカンプンな母の回答に


呆れるというより


こんな無神経な母親で


ある意味吹っ切れた気がしました(笑)