儚いけど夢は夢

家族と愛猫に支えられて・・感謝を忘れない

私にしてみれば

私にしてみれば



自由に動ける旦那が



時々許せなくなります



自分の親と目と鼻の先に住んでいること



そして


生まれ育った土地に居られる


そのことすら


妬ましく思えてしまう




もう・・・言いがかりの世界😎ですね





私は自由に行きたい場所に行けないし


会いたい人にも会えない
(車椅子の姿を見られたくないからなんだけど・・)



もっと自由に自分の感情のまま


動けたらどんなに


素敵なことだろうと思うのです




本当は(ここだけの話)


今・・・無性に


生まれ育ったあの土地に帰りたいです



いいことなんて数えるほどしかないけど


だけど


幼少期過ごしたあの場所に帰りたいです



でも



今の私にはそれさえ難しくて・・・



心があの風景を欲しがります




なんででしょうね


特に


2歳から5歳くらいの間の記憶が


とてもとても愛おしく感じます





多分地元から出たことのない旦那には


理解してもらえないと思います



他の人には当たり前の風景が


今の私にとって


とても遠い存在なこと(愛おしいこと)




次男や今海外にいる三男には


少し理解してもらえるでしょうか・・・




私がこの土地に拘ったのは


私が幼少期過ごした土地が


愛おしくて仕方ないから



息子達には


(生まれ育った土地に)


自由に行き来してほしいと思ったからです



だからこの土地に家を建てました


義姉からは


嫌味を言われましたが・・




でも故郷を思う気持ちは


離れた者しかわからないと思うのです





先日実母からの電話に


久しぶりに出ました



不器用すぎる人です母は


本当はもっと私に言いたいことあると思うのです




だって


私の一番古い(多分二歳頃の)記憶では


母は初めて故郷に帰った時


祖母の腕の中でうずくまって泣いていました


私はあまりにも


想定外の状態だったので


鮮明に覚えています



母が思う祖母は


一番の救いの源だったと思います



娘が(私が)母親に対して思うこともわかるでしょ・・?


だけど


それとこれとは


実母は違うようです(泣)



私が母から教わったことは


「お前がそんなんじゃ親が悲しむんだよ


 お前が悪いのは友達のせい


 親が喜ぶことをしなさい」ということでした



そこには 


≪私は≫一言もありませんでした



今も母は


優秀な孫を産んだ、体裁の良い娘が欲しいのです



私は


あと残り少ない母娘の時間


せめてこんな


絶対認めたくはない


障碍者の娘を(私を)



母だけは


認めて・・・と願うばかりです