儚いけど夢は夢

家族と愛猫に支えられて・・感謝を忘れない

介護される側

先日外出した時


旦那に対して(自分自身にも)感じたことがあります



大きなショッピングモールで


次男の好みの洋服を探していたのですが


私は36歳になる男性に


何を贈れば喜んでくれるのか


見当もつかなくて


迷いながら商品を物色していました



慣れていない売り場と


慣れていない老夫婦


しかも私は車椅子で・・・




旦那の歩くスピードと


私の意志は全く違っていて



「あっ 待ってあそこの売り場に行きたい」と


いつも家にいるような声では


当然旦那には聞こえません



そのうち


ちょっとイラついた私は


今までにない大声で


「違うったら!!あそこのテナントへ行きたいの!」と叫んだら


周りにいた数人が振り返って


私を見た



その瞬間私は


「しまった・・・・💦」と思い


それ以降は


手で旦那に合図をしました




次の日の図書館でも


静か過ぎるくらいの空間の中


私の車椅子が動く音だけが


鈍く響いていて


それだけでも


周りの人には申し訳ないと思ったのですが・・・




本には全く興味がない旦那が


汗をタオルで拭きながら


後方で私の車椅子を押してくれる




本当は


いろいろ吟味したいのだけど


旦那に申し訳なくて


本を選べなかった・・・


しかも


私が選んだ本を渡すと


旦那がそれをじっくり見返すんです



それさえ


私の自由がないような気がして


段々涙が出そうになった



でも


ある通路で


私は一機に6冊の本を選んで


旦那に渡した



折角、5年ぶりに図書館に来たのに


何も借りないのは


無意味過ぎると思ったので・・(転んでもただでは起きない・・😏)



帰り際


旦那に「図書館へ来てくれて(付き合わせて)ありがとう 
    
    読みたい本て無いね、次はもう借りないかもしれない・・」そう言ったら


旦那は「え?!」


と聞き返してきたけど



「いや、何でもない 今日はありがとう」と


それだけ伝えた



多分


少し前の私なら


自分の自由が(以前ほど)ないことを


旦那のせいにして


ぎゃんぎゃん叫んでいたと思う



私は身体障碍者なのよ!と


身体障碍者に胡坐をかくような言葉を


平気で旦那に言っていたと思う



でも


旦那なりに精一杯なんだと


そう感じたから


例えば逆の立場だったら



旦那の憤りを一身に


私は受けることができるだろうか



私は障害があることをちゃんと受け止め


そのうえで


周りの家族に迷惑をかけない程度に


自分のやりたいことをしなければいけないと


そう思いました



自分でも受け止めきれなかったけど


障害を負ったら以前のようにはいかないのです



私は障碍者だけど


できないこと増えたけど



だけど


それほど不幸ではない


そう思える自分でありたいし


日々家族に感謝をひと言だけでも


付け加えること大事ですね



介護される側になって


少し自分の中で変化があった


そんな出来事でした