儚いけど夢は夢

家族と愛猫に支えられて・・感謝を忘れない

年月の残酷さ

引き出しの整理をしていたら、10年前の写真が見つかった


まだ、現役で仕事をしていた頃のもの


去年の証明写真と比べると、まるで別人
多分、亜急性連合性脊髄変性症を発症してから
急激に老けたのだと思う


人前に出なくなると、こんなにも急激に容姿を変えてしまうものか。。。と

約20年前、ベーカリーで職員として働いていた頃
製造、管理、販売すべて一人でやっていた
製パンは、経験者ならわかるが
男性でもきつい仕事


6~12キログラムの生地を、持ち上げたり
重い天板を持ち、窯の前で(時間との勝負で)目の回る作業の連続


腕にはいつも酷い火傷の跡があった


私が一番、輝いていた時であり、
確実に病魔が、体と精神を蝕んでいた頃でもある


パニック発作や真っすぐ歩けないほど、体を酷使していた頃
私は丈夫な体なのだから
病気になどなるわけがないと過信してた
(一晩寝れば治るくらいの認識)


この時、医師の言う通り入院して治療していたら
今の私はまるで違っていた


でも、主治医は『あなたから仕事を奪うことはできない』とも言っていた
主治医は、私の何を見ていたのだろうか。。。


あの頃、主婦の仕事としては
収入はかなりあったと思う
でも、私はお金というよりも
仕事に生きがいを感じ、日々スキルアップすることを考えていた


夢は”パン職人”でした


子供が3人いたのに、子育てはまったくしてこなかった
息子達は、さぞかし私を恨み憎んだろうと思う


仕事人の前に、母親という一番大切な仕事を放棄した


それに、私はあり得ない罪を犯してしまった
その事は、ここでは触れませんが
今の病気の要因の一つだと思えます

長男は、こんな手のかからない食事でも
とても喜んでくれています
まるで、あの頃の欲求不満を取り戻すかのように。。


長男は、私が専業主婦だったら自分の人生は遥かに違ったと言います
思春期の一番不安定な時に、母親不在であったことが
その後の自分に大きく影響を及ぼしていると。。
(もちろん、弟二人も同じ)


息子は、母親なんてウザい存在で
必要とされないものだと勘違いしてた
だから、娘が生まれなかったことに酷く落胆した


今は、息子3人に懺悔の思いでいっぱいです
私のような親でなければ、もっと才能を引き出せたはず


微力だけど、これからの人生は息子3人の為に生きたいと思う
許されるのなら。。(無理だけどね、私は罪人だから)


※私の犯した大きな罪については、のちに話したいと思います